History

1882年奈良の麻布商上田新八が、アイヌの「アトゥシ」にヒントを得て、

厚地の木綿を材料に作った着衣を「厚司」とよんでおりました。

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10番綿単糸の先染め平織りですが、40cm間に880本以上の密度の打ち込みのかなり確りした織物です。

無地、大名縞などに染め、大変丈夫でしたので職人や漁夫の仕事着に用いられ、

明治期には、シャツに比べて3倍程度の単価(1円〜3円程度)でしたので、

仕事着としてはかなり値段が高かったようです。

 

その頃、神戸にも高田屋嘉平が航路を開発した「北前船」で、アイヌの「アトゥシ」が入ってきて、

これを真似て作った上記木綿の「厚司」が大流行しました。

灘五郷の杜氏も故郷の土産に良く買って帰ったそうです。

 

弊社におきましては、明治期の屋号「橘屋厚司店」での厚司製造に始まり、

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大正は足袋製造を経て、

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現在はボタンを中心に服飾資材全般にわたり販売いたしております。

独自のル−トで海外からも仕入れていますので、

手間が掛かりすぎて日本ではなかなか加工出来ないようなものまで、幅広く扱っております。

卸し、小売り、どちらもしておりますので、お気軽にお問い合わせください。

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